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    映画「PERSONA3 THE MOVIE #1 Spring of Birth」をみて

    • 2015.09.02 Wednesday
    • 18:14
    2013年製作 日本アニメーション
    監督 秋田谷典昭
    キャラクター原案 
     副島成記
    音楽 目黒将司

    出演者 主人公 石田彰



    学園もの、、、。

    といえば、そうかもしれない。

    最近、アニメーションを見ていなくて、何かあるかなー、と思ったら、たまたま「影時間ラジオ」を発見!!

    石田彰さんのファンであるので、一旦、フリーになった石田さんの活躍ぶりをみたくて、借りてみた。

    声優さんというのは、なかなか生業として難しい職業である。

    おそらく唯一、オーディション制で「役が決定する」日本では珍しい業界です。

    変わっていないことを願います。

    昔は、声優という職業ではなく、役者さんが「とりあえず、お金になるので就いた」経緯があります。



    声というのは不思議なもので、その人にしかないものなので、個性的な声の持ち主の方が多いです。

    もちろん、演技力もすごいです!!



    今回は、ラジオでもおっしゃってたように「台詞の少ない」主人公でしたが、クオリティ高いわー。



    そして、作画が半端なく「綺麗です」



    このような作品を見ている人には、昔のアニメーションの絵はどう見えるのかしら?

    でも、あちこちに見える、日本アニメーションのクオリティの高さ、技術力の高さは、他の国の追随を許さないと確信しました。

    もちろんながら、日進月歩で、培われた技術です。

    一回見たくらいでは、細かいところの手の入れ方は説明しようがない。



    ストーリーは、主人公は「(生きていくことを)どうでもいい」

    という子なのに、ラストで「仲間を助けます」

    「どうでもよくなくなった」

    ということですね。



    この作品は、元がゲームの原作ということなので、脚本的にもシバリがあります。


    私が小さかった頃のアニメーションというのは、原作も作画も同じ会社が作っていたものから、手塚治虫氏を初め、永井豪氏、石ノ森章太郎氏、赤塚不二夫氏、etc...

    とにかく「面白かった」のと、「今にして思えば、内容が濃い」のが特徴です。



    漫画もアニメも、手塚氏によって、構築され、それを乗り越える試練があるので、大変だろうと思います。

    手塚氏自身も、自分の作風に「古さ」を感じて、模索し、スランプに悩んだ時期もあります。


    今回のは、「映画作品」なので、「画像は、映画館かプロジェクター」で見た方がいい。



    昔、アニメの映画化って、ただのフィルムつないだだけの時から考えると、隔世を覚えます。



    いろんな産業があるなかで、日本独自、そして、海外から「需要」のある産業は、文化において、「漫画」「アニメ」(古典を除く)しかないかも。


    ものすごい「踏ん張り」をみて、そのジャンルに携わる方々に、敬意を感じずにはいられません。

     

    映画「さまよう刃」をみて

    • 2015.09.01 Tuesday
    • 09:53
    2014年製作 韓国作品
    監督・脚本 イ・ジョンホ
    原作「さまよう刃」東野圭吾著
    主演 チョン・ジェヨン
       イ・ソンミン

    何回も「予告編」だけは、他のDVDで見ていて、やっと借りた。

    なぜ、見る勇気がなかったかというと、自分のこととして捉えてしまいそうだったから。

    私にも娘がいるのです。

    そして、娘が大きくなるまで、

    1、「門限」(夏と冬で変わる。基本は6時)

    「門限なんて、面倒〜」と娘に言われたけど、断固、大きくなるまで続けた。

    2、「どこいくか、誰と一緒か、絶対チェック」

    「何で、私だけ?面倒〜」と娘に言われたけど、断固、大きくなるまで続けた。

    3、「夜間帰宅時は、兄を迎えに必ずつける」

    「大丈夫だよ」と娘に言われても、必ず、兄を迎えに出した。
    「夜に、犯罪は起きるのよ」と付け加えて。

    等々をして、無事、成長しました!!


    それは、私が若いときに、何とも思わず夜道を自転車で走っていたら、暴漢に襲われ、あやうく命を落とすか、暴行されたかという経験があるからです。

    「九死に一生を得た」体験でした。

    ですが、警察にそのときに届けにいって、さらに傷つくことが待っていました。

    「よく助かったねえ」
    そのときの事情聴取作業をしぶしぶやった警察官の台詞です。
    「普通、強姦されたら、警察に届けないよ。まあ、あなたは未遂だったからねー」

    そのときの衝撃は忘れません。
    警察は充てにならない。
    はっきり、自覚しました。

    「あの辺りは、最近、強姦が多いんだよ。だから、よく助かったね、って」
    「じっと立って、見張っとくわけに、行かないしね」

    現場ってそんなものか?
    という気持ちと一緒に、その事件があって、気持ちの定まらない小娘相手に、その一種独特な無神経ぶりにすごく、怒りを感じました。


    もう何十年と経つのに、当時のことを詳細に覚えています。
    時々、思い出しては、何も考えるわけでもなく、ただ、記憶を辿ってしまうときがあります。
    それは、犯人には犯人のアングルから見た記憶があるでしょう。
    そして、私にはわたしのアングルから見た映像の記憶があるのです。
    簡単にちぎれたボタン、死角に連れ込まれそうになったのを必死で耐えて、引きずられないようにしたこと。
    その場の判断で、紙一重だったのは確かです。
    犯人が、その場を立ち去るまでの数分の記憶は、こびりついて離れません。
    下手をすると、映像は出てくるのに、書き表すことが出来ず、どこから説明すればいいのかに詰まります。


    いつも思うのです。

    犯罪は起きてからでは遅い。

    この映画の場合、犯罪被害者家族にとって、時間は止まったまま、「どうして守ってやれなかったのか?」

    責め続ける日々が続きます。

    この映画でも、刑事の台詞にある通り、

    「あなたに変わって、犯人を捕まえる」

    「法に従って、裁かれる」


    そして、「耐えるしかない」

    罪と罰、それを自分に問えない人間に、裁判はどこまで効き目がありますか?


    映画内で、主人公が衝動的に、撲殺したあと、その子供と自分の娘との映像がオーバーラップするシーンがあります。

    その衝動にかられた原因は、自分の娘のレイプシーンを撮影したものを見てしまったからです。

    さらに、衝動にかられる理由は、その少年は「もの(盗んだ物がある。主犯格の友人が)の名前を口にする」

    全く、少年の殴られてる理由は、女の子をレイプしたからではない。

    思い出しもしない、思いつきもしない、悪いことで一番に思い出したのが「盗品」のことだった。


    最近の韓国映画を見ていて思うのは、

    ーーー日本にも言えますが、

    子供を受験させて、良い大学、良い会社に入ってくれたらいい、

    という、

    子供の人格を無視して、お金や物を与え、「人としての教育をする機会の喪失」です。

    その結果、子供達は、命を軽んじ、友人をいじめることも平気だし、自分を傷つけるのも厭いません。


    「人が人らしく育つことが困難な環境」

    「人を育てない教育制度」



    既に、私の世代にも、いじめる子、いじめられる子が存在していました。

    私が唯一取った姿勢は、どちらにも属さないこと。

    しばらくして、わかったのは、この映画にもあるように、被害者面して「加害者」を助ける子がいること。

    主犯格とその子分、そして、その行動するにあたって、補助役を務める子。

    この役割分担の正確なこと!!



    「机に向かって、全てを学べる子は、そう多くない」

    ーーーいや、ほとんどいない。

    体験が全てで、小さいうちから、「森や川、海」があれば、自然相手なので、「自分が優位に立つことがない」ことも学ぶし、「いくら暴れても、しっぺ返しをくうのは自分だとわかる」
    そして、とても重要なのは「何をしても、許される空間」に癒されることです。
    子供が、森の中で、木を蹴ったくらいで森林破壊にはなりません。
    川で、手足をバタバタさせて、思うようにならない、ことを知るでしょう。
    海で波をかぶるとき、大きかったり小さかったりする波に、自然の理を、身をもって知る、かもしれない。

    その場に、同じか近い年齢の子が一緒にいれば、おのずと力を合わせなくては、「どうにもならない」と気付くでしょう。

    「開発」という産業構造の中で、失ったものは、自然だけじゃない。

    「想像性を持った、人らしさ」を育むことを捨てたのだ。



    そして、男の子は女の子より繊細で、取り扱いが難しいし、手間がかかります。

    そして、犯罪を犯した子の親は言うのです。

    「うちの子に限って」

    これは、いじめっ子に対しても同じです。

    「うちの子に限って」

    この親の「ものすごい現実逃避」つまり「子供本人を見ない」「こうあって欲しい像を子供に押し付ける」ことが、犯罪を犯すまで、放っておく原因になるのです。

    いじめも立派な犯罪です。

    陰湿さが増して、法文化出来ないだけ。



    法律をきつくしばったり、改正したところで、人間の根本は変えようがない。

    本来、「愛」を学べば、人を傷つけて歓ぶ「子供」などに育つはずがない。





     

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