1996年公開、アメリカ映画。
バリー・レヴィンソン監督。
さらに、脚本、製作もしている。
少年院における性的虐待、圧倒的な暴行、人権がないのは当たり前の上だ。
その看守役を、ケヴィン・ベーコンがしてるのは、驚いた。
彼は、「フットルース」で、好青年(だったかな?)を演じて、一躍、トップスターになったはず。
この役では、サディスティックなおごりたかぶったどうしようもない人間性の看守を、見事に演じていた。
悪役なのはわかっているけれど、彼の演技が中途半端だったり、切れ味にかけていたら、あとが続かない。一片のかけらも、道徳観のない人物にみえるのは、簡単じゃないと思う。
少年時代に受けた傷はあまりにも深く、4人の少年とも、誰にも語らずに過ごしていた。
フラッシュバックというのは、恐ろしいことで、なんのきっかけで起きるかわからない。
じっと、耐えるしかないのだ。
単に、記憶がよみがえるのとは違って、追体験をすることになる。
感触を思い出すので、ひどい場合は、パニックに陥って、失神することもあると思う。
人によっては、暴行シーンが甘い、という評価もあるようだけど、私は充分だと思う。
暴行シーンを見せることが、この映画の意図じゃない。
現実に即して、復讐するときに、どんな方法があるか。
考えるなら、この映画の脚本が正しいと、自分が思うかどうかが問われていると思う。
ハーレムだけれど秩序のあった場所から、無秩序な法的機関。
元の事件の発端は、ささいなことだった。ホットドッグを盗む。ギリシャ人をからかう。
そして、重傷者まで、出てしまうのだが、少年院での体験を身から出た錆と言えるだろうか。
私には言えない。
でも、復讐する気持ちはもっともだと思うが、そのあと、2人は死に、主人公はイギリスに渡り生涯独身で暮らす。唯一、告白をした子だけが、救われたかもしれない。
この描き方には、復讐の結果には、利がない、ということだ。